本当に相撲をとっていた?東の横綱・広岡浅子

NHK連続テレビ小説『あさが来た』の主役オーディションで、ヒロインの波瑠さんが「実際に相撲をとった」というエピソードや、ドラマの放送を通じて、「広岡浅子=お転婆てんばで、相撲が強い」というイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか。

ドラマの原案本となった『小説 土佐堀川』(古川智映子著)では、浅子が相撲をとるシーンは登場しませんが、実際はどうだったのでしょうか。

どうやら、浅子が幼少時に相撲をとっていたのは事実のようです。今回は、「浅子と相撲」をテーマとしたお話をします。

丁稚でっち相手に髪を振り乱して相撲をとる

「浅子と相撲」に関するエピソードは、一九〇四(明治三七)年、『実業之日本』という雑誌に連載された「本邦実業界の女傑・広岡浅子」という特集記事で紹介されています。

小僧を相手に娘相撲

さて、かくも珍しき当代の女傑・広岡浅子の幼時はどのようなものであったか。(中略)大事に育てられたが、浅子の自白せる如く、幼少の頃からなかなか利かぬ気のお転婆。(中略)時とするとまた丁稚や小僧を相手に相撲をとって、結いたての雲鬢うんびん(髪型のこと)をすぐ滅茶滅茶に振り乱すという始末。「もう十四にお成りじゃありませんか。少しはお気を付けなさい」と、母上より小言を受けることは毎日の様であった。

「本邦実業界の女傑(二)(広岡浅子)」(『実業之日本』第七巻二号、一九〇四年)ルビは引用者による

日本を代表する豪商・三井家の令嬢が、十四歳(数え年)になっても髪を振り乱して丁稚や小僧と相撲を取っていた......これは本当にお転婆と言えそうです。

東の横綱・広岡浅子

私たち日本人はいつの時代も、格付けやランキングが大好きです。皆さんも「長者番付」や「今年のヒット商品番付」などを興味深くご覧になったことがあるのではないでしょうか。

この習慣は江戸時代から盛んでしたが、大正時代に出された、その名も「大正評判女番付」には、なんと浅子が登場します。

(『今古大番附:七十余類』所収、一九二三年)

ご覧のとおり、「東の横綱」に「広岡浅子」が堂々とランクインしています。このような番付は必ずしもアンケートや調査の結果を反映したものではありません。しかし当時の世論や世評といったものを反映した、浅子を知る貴重な資料です。

また、興味深いのは浅子の肩書きに「銀行家」と書かれている点です。加島屋が明治に入って設立したのが加島銀行ですが、浅子が銀行の頭取となったという事実はありません。しかし、当時は「加島屋は金融が本業」「加島屋は浅子が切り盛りしている」と思われていたことがよくわかります。

娘時代に相撲に夢中になっていた浅子。もし、この番付を見たらどんな感想を抱いていたか、ちょっと聞いてみたい気がしますね。