大同生命
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浅子も楽しんだ? 再現・加島屋の正月料理

早いもので今年も残りあとわずかとなりました。もうすぐ新たな年を迎えますが、皆さんはお正月をどのように過ごされますか? 家族揃って、仲良くおせち料理を召し上がるという方もたくさんいらっしゃることでしょう。

さて、広岡浅子が過ごしたお正月、その一端がわかる資料が大同生命に所蔵されていました。

今回のコラムでは、この資料をもとに、広岡(信五郎)家(加島屋五兵衛家、以下広岡家)の正月料理を再現しました。広岡浅子、そして大阪有数の豪商であった加島屋のお正月を感じてみて下さい。

発見! 広岡家の正月料理献立

大同生命に残されていたのは「御正月前後二於ケル献立表」というメモ書きの記録。このメモには、年末の餅つきから、二月の節分に至るまでの間、節目に出す料理のメニューが記されています。

このメモを広岡浅子の曾孫にあたる方にご確認いただいたところ、「間違いなく、自分が子どもの頃に食べた正月料理と同じものですね。このメモは大正から昭和初期にかけて、広岡家に住み込みで働いていた料理人が残したものでしょう」とのお返事が。

つまり、この献立に記された料理を、晩年の浅子も口にしていた可能性があるのです。

大同生命文書「御正月前後二於ケル献立表」(写し)

広岡家の祝膳いわいぜん

思い切って、「この料理を再現してみたいのですが……」と希望をお伝えしたところ、なんと、ご家族が実際に使っていた「祝膳」を特別にお貸しいただけることになりました。

「祝膳」とは、特別な機会に用いる膳のこと。かつて広岡家では、家族一人ひとりに、この家紋入りの特製漆膳うるしぜんに正月料理を盛りつけていたそうです。

いずれの膳も、百年近く経過したであろう現在でもなお、全く色あせることなく漆特有の美しい輝きを放っています。

男性の祝膳。
「旦那様」というのは広岡恵三(浅子の娘婿・大同生命第二代社長)、家紋は加島屋に代々伝わる定紋「丸に中陰蔦なかかげづた
女性の祝膳。
「奥様」と書かれている祝膳は、浅子の一人娘・亀子のもの。紋は「三つ追みつおい沢潟おもだか」。加島屋の定紋を受け継いだ男性と異なり、女性の紋は、個人でデザインが微妙に異なっている。

雑煮椀は関西風?

さて、献立が見つかり、当時の祝膳までお借りすることができました。けれど、料理をきちんと再現するためには、やはりプロの料理人の力を借りたいところ。

左の献立を、再現することはできるのでしょうか?

広岡家正月料理 一月一日の献立

一、味噌雑煮(小芋、餅、花鰹、焼豆腐、大根ノ小)

一、黒豆

一、煮付モノ(ゴマメ、叩キ牛蒡ごぼう、数ノ子)ヲ一皿トス

一、焼物(うずらノガン、鯛、蕗ノ薹ふきのとう、絹鞘、玉子、昆布巻、慈姑くわい、百合根)

一、鴨ノ吸物(人馬草)

一、焼物(鰤ノ酒入)

一、鴨ノ吸物

一、野菜(棒鱈、大根、人参、牛蒡、青菜)

一、数ノ子

一、黒豆

そこで私たちが足を運んだのは、銀座に店を構えて三十五年という「関西割烹 味岡あじおか」さん。

広岡家の方とも旧知の間柄というご主人の味岡正和さん、そして板長の日高勝弘さんにさっそく献立をお見せしたところ、すぐに「これは間違いなく、関西風の正月料理ですね」とのお答えが。

どのあたりが関西風なのかというと、「例えば雑煮椀ですが、白味噌仕立てで、具を丸いもので統一しています。これは関西に見られる特徴です」とのこと。

白味噌と言えば京都が思い浮かびますが、「京料理では、主人だけ小芋ではなく頭芋かしらいもが入ります。このメモにはその記載がないので、純粋な京料理と言うよりも、関西風と言った方がよいかも知れません」とも。

左 味岡正和さん、右 日高勝弘さん

関東風の要素も

とすると、純粋な関西風の正月料理なのでしょうか?

「いえ、そういうわけでもありません。たとえば、関東でよく用いられる『ごまめ』も入っています。『ごまめ』をお頭つきの縁起物と見立てて、牛蒡ごぼう(=しっかり根を張る)と数の子(=子だくさん)を添える、実に正月らしい一皿です」

なるほど、そうすると、この関東スタイルは後から広岡家の正月料理に加わった要素なのでしょうか?

「広岡恵三さんは東京出身の方なので、彼の好みや家の習慣が反映されているかもしれませんね」

※広岡恵三は、一柳子爵家の次男として東京に生まれ、広岡信五郎と浅子との間に産まれた娘・亀子と一九〇一(明治三四)年に結婚。婿養子となり広岡家の事業後継者となりました。

再現!広岡家の正月料理

このように、献立を元に次々と料理のイメージを出してくださる味岡さんと日高さん。

こちらのお願いにも「ぜひ、挑戦してみたいです」と快諾いただき、お二人に「広岡家の正月料理」を再現いただくことになりました。

料理の再現の様子

わずか数枚の献立メモから、プロの料理人の方の手により見事に再現されていく正月料理。祝膳を貸して下さった浅子の曾孫さんのご記憶と、そこに料理人のアレンジも加わり、こうして浅子も食したであろう、広岡家の正月料理が完成したのです。

広岡家元旦 朝の正月料理。
中・祝肴いわいざかな 右上・鴨の吸物 右下・白味噌雑煮(小芋、餅) 左上・なます 左下・焼物(煮物)

味岡さんが特徴的な料理について説明して下さいました。

「広岡家では当時から貴重な真鴨まがもを使っていたそうです。浅子の実家・京都でよく使われる食材ですが、真鴨を具だけではなく出汁だしとしても使っているのが特徴です。鴨の脂がたっぷりと出ているのは、真鴨ならではですね。
 味は濃厚なものを想像させますが、吸物にしていますのでとても飲みやすくて口当たりも良く、それでいて鴨の風味が口の中全体に広がります。きっと子どもたちにも人気の一品だったと思います。」

《いたわりの気持ち溢れる夜の献立》

続いて、元日の夜の献立に取りかかりました。この献立メモが書かれたであろう大正期、広岡家は芦屋(兵庫県)でヴォーリズ設計の広大な屋敷に住んでいました。そこには元旦から年始の挨拶のために、来客がひっきりなしに訪れていたので、昼は簡単にパンとコーヒーで済ませ、きちんとした食事は朝と晩だけだったそうです。

味岡さんが、夜の献立を作りながら説明をして下さいました。

「夜の献立に『ぶり酒入さかいり』というのがありますね。これは文字通り、鰤の切り身をお酒で煮たものです。他に入れる調味料は少しの塩だけ。これを丁寧に煮詰めていくと、鰤の身がとても柔らかく口の中でほどけるような食感になるのですが、同時に甘みが口の中に広がります。お酒の糖分が、この絶妙な甘さを引き出すのですね。
 野菜の炊き合わせもありますが、元旦の来客対応で疲れた家族をいたわるような、シンプルで身体に優しいメニューですね」

こうして、夜の膳も無事に完成。こちらは浅子の娘・亀子のお膳に盛りつけていただきました。

祝膳に盛りつけた料理(夜・女性用の祝膳)
一月一日夜の献立。
中・数の子 右上・黒豆 右下・鴨の吸物
左上・鰤の酒入 左下・野菜の炊き合わせ

正月料理の再現を終えて

こうして、無事に広岡家の正月料理の再現が終了しました。今回再現にご協力いただいた味岡さんと日高さんに、感想を聞いてみました。

「献立だけみると、豪商らしい豪華なおせちというよりも、一般的な関西の家庭の正月料理に近いものがありますね」

「メモにも『到来品を適宜応用のこと(=適宜もらったものを使うこと)』という一文があります。いかにも大阪商人らしい“始末のこころ”や“堅実さ”が感じられる料理だと思います」

「しかし……」と、言葉を続ける味岡さん。

「実際に料理を作ってみると、また違った感想を持ちました。例えば『鴨の吸物』で使った真鴨は、当時でも高級品。今ではなかなか手に入れることができないものです。それに『うずらのガン』とある、鶉の挽き肉を団子にしたものや、夜の『鰤の酒入』は、食材の良し悪しも大切ですし、とても手間のかかる料理でした。こういった品が随所に並ぶあたりは、やはり一般的な家庭とは異なり、さすがは広岡家、と思わせるものがありました」

「また何といっても、今回お借りした、家紋の入った祝膳が素晴らしい逸品です。螺鈿らでん(貝殻を利用した装飾)や金箔をあしらうような豪華さはありませんが、盛りつけた料理がここまで引き立つ器もなかなかない。この漆塗りの膳が家族一人ひとりに作られたのですから、広岡家の豊かさや家族を大事にする気持ちが感じられる、素晴らしい品です」

いかがでしたでしょうか。皆さんが召し上がるおせち料理と似ているところもあり、また「さすがは豪商」と感じさせるようなところもありました。このお正月の献立を通して、浅子のことをまた少し身近に感じていただけたのではないでしょうか。

皆さんも、よいお年をお迎え下さい!

(取材・撮影協力)
「関西割烹 味岡」

東京都中央区銀座7‑7‑12
ニューコンパルビル6F

[電話番号]03‑3574‑8844