伝統芸能・落語でよみがえった浅子~落語家・林家竹丸さんに聞きました~

平成二八年一○月より新作落語“負けへんで~広岡浅子奮闘記~”をスタートされた落語家の林家竹丸さんにお話をおうかがいしました。

林家竹丸さん

兵庫県出身。平成七年、上方落語の四代目林家染丸に入門、落語家となる。

平成一八年、なにわ芸術祭新人奨励賞(産経新聞社主催)を受賞し、平成二三年、京都造形芸術大学文芸表現学科にて伝統芸能の講師に就任。

平成二七年には、NHK連続テレビ小説「あさが来た」に大阪商人「天神屋」役で出演する。

大阪・兵庫・東京などを拠点に、落語会・寄席に多数出演。講演・執筆活動でも落語の魅力を発信している。入門までの六年間、徳島・大阪でNHK記者として勤務した経験もあり。

NHK記者から転身

──本日はよろしくお願いします。さて、竹丸師匠は元NHK記者というユニークな経歴をお持ちですが、どのようなきっかけで落語家に転身されたのですか?

竹丸:話せば長くなりますが(笑)、中学生の頃から落語が大好きで、学生時代(神戸大学)は落研(落語研究会)に所属していました。当時は授業そっちのけで落語漬けの生活。「なれるものなら落語家になりたい」という想いがずっとありました。

──大学を卒業してからNHKに入社されたのですね。

竹丸:夢は夢のまま就職活動を行い、NHKに入社しました。まずは配属先の徳島で五年間記者として勤務したあと、大阪に異動となりました。その頃から仕事がとても忙しくなり、あれこれ迷いが出てきた頃、息抜きでよく寄席に通いました。

──そこで長年の想いがよみがえったというわけですね。

竹丸:次第に「落語家になるなら、年齢的にも今がラストチャンスかも……」という想いが強くなっていきました。

そんなとき、阪神大震災が発生し(平成七年一月)、宝塚(兵庫県)の自宅で被災しました。そして記者として取材活動に忙殺される中、夢や志を持った多くの学生たちが震災の犠牲になったという事実に衝撃を受けました。「人間誰しも明日どうなるかわからないので、夢に向かって挑戦すべき」という心の声に動かされ、震災の取材が一段落したところでNHKに退職願を提出しました。

──すぐに入門できたのですか?

竹丸:あこがれていた林家染丸師匠にまずは手紙を書き、出待ちをしてアポなしでお願いにあがりました。何度も断られましたが、粘り強く想いを伝え続けた結果、最後にはお許しをいただきました。

──まさに「九転十起」(浅子の座右の銘)ですね。

落語あれこれ

──すでに講談師の日向ひまわりさんが浅子講談を展開されています。落語と講談の大きな違いは何でしょうか?

竹丸:「講談」が史実をもとにした物語であるのに対し、「落語」は基本、フィクションです。今回の落語は史実がベースですが、落語は講談よりも会話を主体に運ぶので、講談とはまた違う味わいになっていると思います。

実はひまわりさんとは小浜市(福井県)で開催された「ちりとてちん」のイベントで、二回ほどご一緒したことがあるんですよ。

ちりとてちん:平成一九年後期連続テレビ小説(NHK)。心配性でマイナス思考のヒロイン(貫地谷しほり)が大阪で落語家を目指す物語。

──「びっくりぽん!」なご縁ですね。私は「オチがあるのが落語」だと思っていました。

竹丸はなしの最後に落とす、つまり「オチ=落ち」をつけるので「落語」という言葉ができたそうですから、それは正しいですよ。多くは笑わせるための「滑稽噺こっけいばなし」ですが、ホロッとさせる「人情噺」やこわがらせる「怪談」もあります。いろんな噺をやるので落語家のことを「噺家はなしか」ともいいます。大阪の場合はほとんどが「滑稽噺」ですね。

──上方(大阪)と江戸(東京)でも、色々と違いがあるとお聞きしました。

竹丸:もともと上方の落語は、神社の境内など、ストリートで生まれましたが、江戸の場合は最初からお座敷で噺をしていたと言われています。

──そうなんですか

竹丸:上方落語では、通行人の注意をひくため、前に置いた台を叩いて客の足を止め、噺に集中させたと言います。大阪の落語家が見台けんだいを使うのはその名残りと言われています。出囃子やはめものを使って演出を派手にするのも上方落語の伝統です。一方、江戸の場合、座敷で噺をしたのがルーツなので、お囃子もなく、じっくり聴かせる噺が多かったようです。

はめもの:噺の最中に入れる効果音で、裏方が三味線や太鼓で音を出す

竹丸:明治以降は、東西の交流が進み、東京でも出囃子を使うようになりました。ネタの行き来も結構あったようです。また、「前座・二つ目・真打」という階級があるのは東京だけです。上方でも戦前まで同じような制度がありましたが、戦争で落語家の数が極端に減った経緯もあり、現在はありません。ちょっと乱暴にいうと「階級なんか関係あるかい、笑わせたもん勝ちや」みたいなところがあり(笑)、ある意味、大阪らしいのかもしれません。

──「桂」「林家」など東西共通の屋号もありますね。

竹丸:江戸時代、「桂」は上方、「林家」は東京でそれぞれ発祥しました。同じ林家でも東西で紋が違うんですよ。

大阪の林家一門の紋「ぬの字うさぎ」

──一度寄席に行ってみたくなりました。なかなか機会もないですが……

竹丸:ほぼ年中無休の寄席は、東京は新宿・上野・浅草・池袋にあり、大阪には私も出演している天満天神繁昌亭(大阪市北区)があります。なんとなく敷居が高いと感じるかも知れませんが、そんなことはありません。寄席には、老若男女問わず大勢のお客さまが集まります。会場はいつも笑いであふれていますので、ぜひ一度いらっしゃってください。

連続テレビ小説「あさが来た」(NHK)に出演して

──ドラマに出演されていかがでしたか?(大阪商人「天神屋」役)

竹丸:TVドラマは初出演、しかもNHKの朝ドラです。お話をいただいた時は、果たして自分に務まるか、不安でたまりませんでした。なので、撮影が開始してからは、とにかく共演者の皆さんの足を引っ張らないように、と必死でした。

撮影では色々と苦労もありましたが、一流の役者さん、スタッフ、裏方さんたちと過ごせた時間は最高に幸せでした。当たり前ですが、本職の役者さんの演技はやっぱり違うなぁ……とも。

──一視聴者としてドラマをご覧になった感想はいかがですか?

竹丸:それまで朝ドラを観るという習慣がなく、最初は自分が出演するので義務感を持って観ていました(笑)でも実際に見始めると、すぐにストーリーに引き込まれてしまいました。

自分の出番が全部終わったあとも、「最後はどないなるねん」と興味津々で「いつまでも終わらないでほしい」という思いでした。半年という長丁場で、物語のヤマをいくつも作らなければならないので、あらためて大森美香先生の脚本の素晴らしさを感じます。

浅子の想いを後世に語り継ぐ

──広岡浅子に対してはどのようなイメージをお持ちですか?

竹丸:恥ずかしながら、ドラマ出演のオファーが来るまで、浅子さんの名前すら知りませんでした。しかし知れば知るほど、「こんなスゴイ女性が大阪にいたのか!」と驚くことばかり。これほどの方が、今までほとんど知られずにいたのが不思議です。写真のお姿からは貫録・風格が十分すぎるほどうかがえて、もし私がタイムスリップして浅子さんにお会いできても、緊張のあまり動けないでしょう(笑)

──今回落語を創作されて感じたことはありますか?

竹丸:浅子さんらしい台詞を色々と考えましたが、「当時の女性がこのように発言するのはどんなに大変だっただろう」と想像します。その勇気とバイタリティに敬意を抱きながら、落語を演じたいと思います。

──最後にひとことお願いします。

竹丸:近代日本における女性実業家のさきがけである広岡浅子さんの足跡を題材に落語を演じます。「ファースト・ペンギン」の精神にあふれたスーパーウーマンに想いを馳せていただける噺になるよう、がんばります。皆さまにお会いできる日を楽しみにしています!

──こちらこそよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。

一定の人数(目安・一五名以上)が集まるイベント等で、個別に竹丸さんの落語会開催が可能です。ご興味がおありの方は、ご希望の「日時」「場所」「参加人数」を記載のうえ、大同生命広報部までお寄せください(daidokoho@daido-life.co.jp)。