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初公開! 浅子の手紙と新たな加島屋史料

今回は二〇一五年一一月九日に開かれた神戸大学公開講座「豪商たちの近世・近代――廣岡浅子を育んだ時代――」で発表された加島屋の新出史料について、史料の調査にあたっておられる神戸大学経済経営研究所准教授・髙槻泰郎たかつきやすお先生に寄稿いただきました。

新たな「広岡家文書」の発見

二〇一五年五月、奈良県のある旧家より、両替屋・加島屋久右衛門の創業一族である広岡家の残した文書史料ならびに調度品の数々が発見されました。これは第二次世界大戦中に、大阪に戦火が及ぶことを恐れた広岡家が、姻戚関係にあった家の蔵に疎開させたものの一部であることが分かりました。

奈良県の旧家から見つかった新たな「広岡家文書」

終戦後、「最後の加島屋久右衛門」である広岡正直氏(大同生命保険第三代社長)が、預けていた文書類を引き取りに来られたそうですが、一部は残していかれました。その残りが今回発見されたのです。新聞各紙で報道されましたので、ご存じの方もおられるかも知れません。

広岡久右衛門正直(一八九〇〜一九七八)

大阪大学名誉教授・宮本又郎先生と筆者(髙槻泰郎)を中心とする研究メンバーが、史料の所蔵者と広岡家の了承を得て、調査に着手しており、現在は神戸大学経済経営研究所にて保管・整理を進めています。

新発見史料の概要

今回発見された史料は、両替屋・加島屋久右衛門の近世・近代初期における経営史料と、広岡家の家政史料が中心です。調度品については、疎開時に持ち込まれたと思われる布団・座布団などの日用品や、学生服などの衣類のほか、写真史料も大量に見つかりました。

目下、整理を進めている最中ですが、総点数は、調度品や写真などもあわせて一万点を超えると予想されます。加島屋の経営を明らかにする基礎史料となるのはもちろんのこと、江戸時代、そして明治時代における豪商の暮らしぶりを伝える文化的史料としても大変貴重なものと言えます。

「大同生命文書」との関係

広岡家の史料としては、大同生命が、創業一一〇周年記念事業(平成二四年)の一環として大阪大学に寄託した「大同生命文書」、約二五〇〇点が知られています。その一部が、大同生命大阪本社(大阪市西区)のメモリアルホールにて展示中ですので、ご覧になった方もおられるかと思います。

今回の新発見史料と「大同生命文書」は本来ひとつのものであった可能性が高いと言えます。なぜなら、第二次大戦後、正直氏が持ち帰った文書の少なくとも一部が、この「大同生命文書」に収められているからです。

例えば、現在メモリアルホールにて展示中の史料に、「広岡家由緒幷に御褒美頂戴の儀書上」という一八一八(文化一五)年に作成された文書があります。これは「大同生命文書」より見出された文書ですが、これを入れていたと考えられる封筒が、今回発見された新史料の中から出てきたのです。

今回の新出史料の一つ、大同生命文書「広岡家由緒書」が入れられていた封筒。新出史料と「大同生命文書」が同じ史料群であることを示す。

この文書は、幕政に対する貢献の厚かった加島屋久右衛門を、江戸幕府が特別に褒賞することになり、それに際して家の由緒書ゆいしょがきを提出するように、大坂町奉行所から求められた加島屋の手代たちが作成したものです。

加島屋久右衛門の歴史が記された、大変貴重な文書ですが、正直氏は、これを封筒から取り出して持ち帰り、それが「大同生命文書」の中に収められたのです。重要な史料を的確に選り分けた正直氏の「目利き」は確かであったと言えるでしょう。

第二次世界大戦のあおりを受けて二つに分かれてしまった兄弟史料群が、ここに再会を果たしたのです。

新発見! 浅子の書状

今回発見された史料群は、近世・近代の大阪金融界をリードした広岡家のものですから、当然、経済・金融の歴史に関する研究が大いに進むことになります。その一方で、広岡家の人々の暮らしぶりを伝える史料も沢山見つかっております。その中でもタイムリーな発見と言えるのが、広岡浅子の書状です。

道具を包んでいた状態で見つかった書状。実はこの書状が……

今回の調査チームが、蔵の中に置かれた広岡家の長持ながもち(長方形の木製家具)を整理していたところ、女性の化粧道具などを保管する箱が見つかり、その中に化粧筆など諸々の道具が紙にくるまった状態で発見されました。右の画像に見える無造作に巻いてある紙こそ、浅子直筆の書状だったのです。

浅子から夏へお詫び

今回確認された浅子直筆の書状は、浅子から広岡久右衛門正秋(信五郎の弟)の妻である夏に宛てた年賀状と書状の二通です。浅子の書状自体は、これまでにもいくつか知られていますが、今回発見されたものは、いずれも初めて世に出るものになります。まずは後者(書状)から紹介します。

浅子から夏への書状

筆者が神戸大学で主催している古文書勉強会「六史会」のメンバーで早速読み合わせたところ、大変興味深いことが分かりました。

残念ながら、書かれた年代や時期は正確には分かりませんが、内容としては、毎年の恒例であった「参殿」を明日に控え、体調不良によって参加を辞退する旨、お詫びする書状になります。「参殿」とは、一般的に他人を敬って、その家を訪問することをいいます。また、夏に対して「寒紅かんべに」一箱を、ご祝儀として贈っています。「寒紅」とは、寒中に作られた紅のことで、色が特に鮮明で美しいことで知られます。浅子の細やかな心遣いが伝わってきます。

書状の末尾には、「病中にて大乱筆御高免ごこうめん被下候くだされそうろう」、病中につき「大乱筆」となってしまったことをお許し下さいね、と茶目っ気たっぷりに記しています。女性の書状を分析した経験のない筆者には、これが一般的に達筆かどうかを判定することはできませんが、少なくともNHK連続テレビ小説『あさが来た』で描かれているよりは字が上手であると言えそうです。

「病中にて大乱筆御高免被下候」部分の拡大

見つかった書状のうち、もう一通は、夏宛の年賀状です。「大乱筆」と浅子が自嘲する右の書状よりも綺麗な字で、かつ、大変格調の高い文章が「折紙」と呼ばれる形式で綴られています。

年賀状については、二〇一五年一二月一〇日より、大阪企業家ミュージアムにて展示されていますので、興味のある方は、ぜひご覧下さい。

今回の新発見史料を用いた分析は、まさに始まったばかりです。浅子の書状はその一端に過ぎません。「大同生命文書」とあわせて、加島屋の研究が大いに進展することは間違いありません。少しでも早く、皆様に研究成果を披露できますよう、より一層研究に邁進致します。

髙槻たかつき泰郎やすお(神戸大学経済経営研究所准教授)

一九七九年生まれ。東京大学大学院経済学研究科後期博士課程修了。二〇一三年より現職。

二〇一二年、『近世米市場の形成と展開――幕府司法と堂島米会所の発展――』(名古屋大学出版会)で二〇一二年度第五五回日経・経済図書文化賞受賞。