浅子の囲碁対決 後編
前後編二回に分けてお届けしている、広岡浅子の囲碁対局再現企画。序盤から中盤は、浅子がハンデを活かして優勢に対局を進めていたことがわかりました。
後編では、いよいよ中盤から終盤にかけての対局をご覧いただきます。ここから浅子と伝説の女流棋士・喜多文子の局面がどうなるか、続きをお楽しみ下さい。
喜多文子の追い込み
万波:このあたりで、喜多先生が少しずつ追い上げて、差が縮まっていきます。
──それは、やはり技術の差なのでしょうか?
長島:そうですね、技術的な部分はあると思います。
万波:後半戦は、棋力の差が一番でやすいかも知れません。
──この段階で、浅子は追い上げられているという実感はあるのでしょうか?
万波:おそらく実感していると思います。
長島:ひょっとしたらギリギリで逃げ切れると思っているかも知れません。
──ここから細かい攻防に入っていくわけですね。
長島:ここで、これまでの堅実な打ち方とは違って、九八手目が戦いを挑んだ一手になり、連絡できる(石がつながること。囲碁は石がつながって打つのが有利となる)のをしっかり読んでいますね。これは読みが必要な手で、「ここに打てば、自分は大きな損をしない」という計算があったと思います。
万波:白の弱みを突く良い手だと思います。読みがしっかりとした一手です。
浅子、痛恨のミス?
長島:しかし一一六手目。ここで浅子は、決め手を逃してしまうのです。もしここで逃さなければ、この対局で勝てた可能性がかなり高いと思います。
万波:浅子はここで、より高度な手を選んでいますね。喜多先生は、それを受けるというかいなすというか、まだ余裕を感じます。総じて後半戦は、白が優勢に戦いを進めていきますね。
──そして、じわりじわりと喜多先生が差を詰めていく……
長島:そうですね。ヨセ(陣地を確定していく局面)で棋力の差が出てしまっています。一六一手目あたりで、逆転されました。
──逆転の決定的な一手がどこかにあったのでしょうか?
万波:致命的な悪手があったわけではないですね。
長島:ええ、それはないと思います。
万波:やっぱり後半は、棋力に勝る喜多先生がじわじわと浅子を追い上げたという感じですね。でも、ヨセでプロに勝てるアマチュアはいないと思いますので、仕方のないことです。
長島:浅子のように堅実な打ち方をすると、勝っても負けても小さな差になります。なので、余計にヨセが大きなポイントになります。
──いかに逃げ切るか、ということでしょうか?
長島:そうですね。やはり先ほどの……
万波:そう、一一六手目を逃してしまったので、勝つのが難しくなったと思います。
──浅子は途中で逆転されたことに気づいたのでしょうか?
長島:うーん、喜多先生の攻め方を「細かい」と感じたかも知れませんが、逆転されたことまでは分からなかったと思います。
諦めない浅子
長島:ここ、すごくいい手ですよ。
万波:一七〇手目ですね。浅子が定石をよく勉強しているのが分かります。通常、一目でも相手の陣地を減らしたいので進んでしまうのですが、ここでの浅子は「次の一手」を意識しています。
長島:その場で思いつくような手ではないです。そして、一七四手目で、先程の一七〇手目が活きてきます。
万波:この二つの手はセットになっています。けっして諦めないところが実に浅子らしいですね。
万波:二〇〇手目あたりから、最終段階に入っていきます。
長島:そうですね……大体固まりました。
万波:二三九手で終了です。結果は「白の五目勝ち」となりました。
──五目勝ちというのは、僅差と言っていいのでしょうか?
長島:はい、わずかな差での勝負となりました。
万波:「浅子さん、惜しかったですね」といった感じです。序盤はさすがの喜多先生も、あまり余裕がなかったかも知れません。
対局を終えて──浅子の棋力と性格
──実際に再現して、浅子の棋力はいかがだったでしょう?
万波:今のアマチュアの三段くらい。いや、もう少し上かも……
長島:確かにもう少し上かも知れませんね。
万波:序盤の打ち方をみると、もっと実力があると思います。
長島:そうですね。序盤はアマ五段ぐらいかも……
万波:後半で少し弱点が見えたので、トータルで見ると三段くらいでしょうか。
──現在、浅子と同じぐらいの棋力を持つ女性は、どれぐらいいらっしゃるのでしょうか?
長島:今でもそんなに沢山はいないと思います。
万波:子どもの頃から囲碁を始めると上達も早いのですが、大人になってから始めて、三段、四段レベルになるのは、かなり難しいことです。
長島:「あさが来た」のヒロインのように、浅子は子どもの頃から碁を打っていたのかも知れないですね。
万波:基礎がしっかりしています。定石もよく知っているので、子どもの頃から強い人に教わっていたのではないでしょうか。
長島:本当にそのような感じがしますね。
──浅子の性格のようなものはわかりますか?
万波:この一局からは、「非常に繊細な方」という印象を受けます。
長島:優しい感じもしますね。
万波:そう、優しい方です。
──ビジネスの面では浅子が豪腕だったというエピソードがたくさんあるのですが、彼女の書や和歌を見ると、非常に「女性らしさ」を感じます。
万波:どちらが本当の浅子なのかは分からないですが、囲碁は非常に繊細です。
長島:囲碁に性格が表れるとよく言いますので、浅子は繊細で優しい方だったんじゃないでしょうか?
万波:豪腕経営者というイメージとは異なり、堅実で努力家という印象を受けます。
長島:そうですよね、すごく勉強されているのが分かります。読書が趣味だったとのことですが、囲碁もすごく勉強されていたのは間違いないと思います。
──そんな女性がピストルを持って炭鉱に乗り込んで行ったとは……
万波・長島:とても思えないですね(笑)
「囲碁界のレジェンド」からのメッセージ
いかがだったでしょうか? 浅子を知っている人も、またドラマの“あさ”をよくご覧になっている方にも、興味深い対局だったのではないでしょうか。
最後に、浅子と対局した喜多文子の直系の弟子であり、女流棋士における最多勝利記録保持者、いまも現役プロ棋士としてご活躍中の杉内壽子八段に今回の棋譜をご覧いただき、コメントをいただきました。
形の良い堅実な碁です。当時女性で、これだけ打てる方がおられたことに驚きました。最後まで崩れることなく優勢に打ち進めており、冷静な方という印象を受けます。
結果、わずかな負けとなりましたが、名士のアマチュアとしては、当時の最強クラスではないでしょうか。
また杉内先生からは、右記コメントとあわせて、貴重なお話も教えていただきました。
『坐隠談叢』によれば、喜多文子先生は明治四四年十月、(これまでの女流の最高段である)四段に昇進せられ、その披露会の発起人に頭山満・古島一男諸氏と並んで、広岡浅子女史の名前が記されています。頭山・古島の名士お二人は囲碁界の後援者として名高く、広岡女史もおそらく後援者であられたのではないでしょうか。
当時の棋士は、政治家や豪商に囲碁を指導することで生計の一部を立てており、喜多先生は浅子の実家である三井家に行かれたこともあったそうです。再現いただく中で出てきた「対局前から二人は面識があったかも知れない」というのも確かな話かも知れません。
浅子の囲碁に対する情熱と実力は、やはり並々ならぬものがあったようです。
今回の浅子の対局棋譜を、オンラインで再現できるデータとして日本棋院よりご提供いただきました。
囲碁に詳しい方や今回の対局で興味を持った方は、初手から終局までの全てをお楽しみ下さい。
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(取材協力 公益財団法人日本棋院)