新発見! 浅子の和歌草稿(その二)浅子が詠んだ「恋」の歌
大同生命大阪本社メモリアルホール(大阪市西区)で開催されている特別展示「大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”」。二〇一五(平成二七)年七月のリニューアルオープン以降、のべ九万人を超える方が来場されるなど、大変ご好評いただいております。
二〇一七年四月より追加した新たな展示品「浅子和歌草稿」(全六冊)を紹介する今回のコラムでは、草稿のうち「恋」の歌を一部ご紹介します。
「恋」和歌草稿
前回ご紹介したとおり、新たに発見された浅子の和歌草稿は、「春」「夏」「秋」「冬」「雑」「恋」の六冊にまとめられていました。そのうち、文字どおり「恋愛」をテーマとした「恋」には、合計で二十六首の和歌が記されています。これは他の五冊と比べてもかなり少ない数で、浅子はこのテーマを詠むのが、少し苦手だったのかも知れません。
なお、和歌には必ず自身の経験を詠まなければならないというルールはなく、読み手の自由な発想で作られるものです。それらを踏まえ、「恋」に記された和歌のうち五首をご紹介します。
※和歌の翻刻と意訳は、日本女子大学日本文学科に協力いただきました。
一、寄月戀(月に寄せる恋)
晴やらぬ 思ひや空に かよひけん
くもりはてたる 山の端の月
(意訳)
すっきり晴れることのない、私の恋のモヤモヤが、空に通じたのであろうか。すっかり曇って、隠されてしまった山の端に出る月よ。
【解説】
「山の端に出ているはずの月が、雲に覆われて隠れて見えない」という情景を、自身の晴れない恋と重ねた歌です。「思ひや」と「かよひけん」が係り結びの関係ですので、「晴れやらぬ思い」がより強調された表現になっています。
こゝろたに かはらさりせは いたつらに
月みるよはも 恨さらまし
(意訳)
せめてあの人の愛情が変わらないのであれば、(ひとり)むなしく月を見る夜半も、恨めしくは思わないことだろうに。
【解説】
「かわらざりせば(変わらないのであれば)」と「恨みざらまし(恨まないのに)」で二重否定になるため、「(あなたの心が)変わってしまったので恨んでいる」という心情を表しています。
二、寄鶏戀(鶏に寄せる恋)
戀〳〵て まれに逢夜も
心なく 夕つけとりの 聲もらすらん
(意訳)
恋しい気持ちが募りに募って、やっと会うことができた夜にも、どうして鶏は、無情にも(暁を告げる)声をたてるのだろう。
【解説】
「恋恋て」は、「万葉集」の
恋ひ恋ひて 逢へるときだに
愛しき 言尽くしてよ 長くと思はば
(やっと会えたその時くらい、愛おしむ言葉をかけてください、この恋が長く続くようにと思うのならば)
という歌に出てくる、「目に見えないものを強く慕う気持ち」を表現する言葉です。
平安時代以降の和歌は通常、「五・七・五」の上の句と「七・七」の下の句に分かれますが、この歌は「五・七」「五・七・七」となっています。これは「万葉調」といわれる奈良時代の万葉集に多くみられる表現で、浅子の歌も「恋ひ恋ひて……」の和歌を元にしたと考えられます。浅子の和歌に対する深い見識がうかがわれます。
なお、「夕つけとり」は「木綿つけとり」とも書く、鶏の別名です。
三、戀枕(恋枕)
つらかりし 人の心と思ふより
残る枕も うらみられつゝ
(意訳)
薄情だった男の心を思い返すたびに、(寝室に)残された枕に対しても、恨みを抱いてしまうよ。
【解説】
「つらかりし」は「薄情だ、冷淡だ、ひどい」という意味です。平安時代の上流階級では、男性が女性の元を訪れる「通い婚」が通常でした。この歌は男性が帰った後、残された女性の寂しい心情を歌ったものです。
四、祈戀(祈る恋)
みたらしの 浪も逢瀬の あるものを
祈る印の なとなかるらむ
(意訳)
神社を流れる御手洗川の波にも出会いがあるというのに、恋の成就を祈る御利益が、どうして私には無いのだろうか。
【解説】
「みたらし(御手洗)」とは一般に「神社社殿のそばを流れる、参拝者が手や口を洗い清める川」のことですが、京都の上賀茂神社(京都市北区)、下鴨神社(京都市左京区)の御手洗川が有名で、和歌にもよく詠まれています。
「逢瀬」は、「川の流れが出合うこと」から転じて「男女が密会すること」を意味します。この歌は、「神社のそばを流れる川でさえも出会いがあるのに、どうして私には恋愛祈願の御利益がないのだろう」といった意味となります。われわれ現代人にも近しい感覚があるのではないでしょうか。
いかがでしょうか。恋愛には人それぞれの想いと表現がありますが、浅子が詠んだ恋の歌はこの五首をみる限り、恋愛の「辛い」「寂しい」といった気持ちを表現するものが多く、「しっとりとした大人の恋」を感じることもできます。必ずしも本人の経験に基づいたものとは限りませんが、浅子の新たな一面がうかがえる歌ではないでしょうか。